「Webは有効な表現手段か」
どう使えば表現手段の有効的な場になるかを考えた方が良さそうですね。マクルーハンは、メディア論の中で「メディアはメッセージである」と言ったとおり。情報を伝達するメディアそのものが、また情報で、つまりは活かし方次第ってことです。
もうwebサイトなんて必要ない
確かにwebは終わったって論調あるよね。
そしてもうwebサイトは作らない
文書の閲覧という基本に立ち返ったサービスが増えて欲しいかなと思う。電子書籍でなく、WEBならではの利点を活かして。
「表現」って言っちゃうと人それぞれだろ、っていう話にしかなんない。やりたい表現がwebだとできるからwebをやってる、とか。「有効」っていうとなんかお金儲けの雰囲気がする。webでやる方が客にメッセージを届けやすいですよ、とか。有効な表現っていったいなんだろう。
「Agは有効な金属素材か」って言ってるのと同じ。有効かどうかを、手段のみにフォーカスして考えても無意味で、何を発信したいかを考えた上で適切な手段のひとつとしてWebを使うか使わないか判断するだけ。
Webほど「発表」に適した場所はないと思う。どんなに優れた表現を磨いても発表する場所がなければ意味がない。特に力のない個人に有利かと。
インターネットは生きるだろうけど、ウェブって言葉は消えそうだね。
は?
な?
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どう使えば表現手段の有効的な場になるかを考えた方が良さそうですね。
マクルーハンは、メディア論の中で「メディアはメッセージである」と言ったとおり。情報を伝達するメディアそのものが、また情報で、つまりは活かし方次第ってことです。
もうwebサイトなんて必要ない
文書の閲覧という基本に立ち返ったサービスが増えて欲しいかなと思う。
電子書籍でなく、WEBならではの利点を活かして。
「表現」って言っちゃうと人それぞれだろ、っていう話にしかなんない。
やりたい表現がwebだとできるからwebをやってる、とか。
「有効」っていうとなんかお金儲けの雰囲気がする。webでやる方が客にメッセージを届けやすいですよ、とか。
有効な表現っていったいなんだろう。
「Agは有効な金属素材か」って言ってるのと同じ。
有効かどうかを、手段のみにフォーカスして考えても無意味で、何を発信したいかを考えた上で適切な手段のひとつとしてWebを使うか使わないか判断するだけ。
Webほど「発表」に適した場所はないと思う。
どんなに優れた表現を磨いても発表する場所がなければ意味がない。
特に力のない個人に有利かと。
インターネットは生きるだろうけど、ウェブって言葉は消えそうだね。
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