キンコン西野の新エンブレム案(蝶のデザイン)はどう思いますか?長文です。
大衆の評価はすこぶる高く、新候補の4案より良い、という意見ばかりで、否定的な意見はほとんど見られません。
個人的には、二つの思いが同居しています。
ひとつは、画家が作りそうなデザインだな〜と、悪い意味での感想です。素人受けしそうな良さ、お洒落さと言いましょうか。
品はあれどデザイナー的なシンプルさに欠け、日本のグラフィックデザイン業界が積み上げてきたメソッドから外れている。
もう1つは、大衆が良いと言ってるのだからこれは素晴らしいし、実際良いデザインだと。
しかし、西野さんは絵が上手いとはいえ、グラフィックデザイナーではありませんし、畑違いです。
そういった人の案に、本業のグラデザが勝る案を出せていない、というこの状態をどう思いますか?
私は「非常に悔しい」「いや、西野のは無いだろう、でもこういうターゲットが広いものは、大衆受けするものがいいんだよ」「この案は素晴らしい」など3、4こくらいの相反する気持ちが同居しています。
自分の中の素直な気持ちとして、みなさんどう思われるかお聞きしたいです。特にデザイナーの方の意見を聞きたいです。
みんなの回答 32 件
よくも悪くも日本人的。内向きなデザインで浅いなと思いました。
今回エンブレム騒ぎの一件で痛感したのは、日本人は自分の国のことしか考えてない(考えられない)人が多すぎるなと。
あまりにも短絡的に和をモチーフにした作品が多すぎます。
亀倉氏の時代は、戦後復興し日本の勃興という背景がある中、日の丸モチーフには力強さがあり、時の日本を象徴していました。それが佐野氏の時は単なる亀倉氏へのリスペクト。そして日本といえば日の丸でしょ。みたいな単純かつ無意味なアプローチ。それと比べたら、今回の4案の中のには、芯のあるものあるのでは、思いますが、全てそのままじゃ使えないくらい未熟なものばかりだと思いました。
最後に、西野さんのデザインの感想ですが、丁寧な感じはしますが、コンセプトが希薄で、ただ筆遊びに過ぎないと思います。そういうのは、デザインとは言いません。アートと言います。
アートとデザインを区別せず、この件で一喜一憂するのは、無意味です。
縁取り、雲、波、いろいろな線の太さが使われていて統一感のない感じです。素人の筆遊びです
国民投票で選出される仕組みだったと仮定して、それで西野さんのが選ばれたのであれば、それが答えですよ。デザイナーは西野さんのをデザインではなくアートだと批判するでしょうが、デザイナーが作ったデザインが国民に選ばれないのであれば、商業デザインとして成立しておらず、それこそアートです。
仏壇屋のロゴとしては素晴らしい出来栄え。
よいデザインを見分けるのにに経歴や肩書が必要なの ?
その観点がそもそも本質を捉えようとしていない。
トピ主です。
さらに考察したいので長文書かせてください。失礼いたします。
今回のエンブレム騒動は、「良いデザイン」についての共通認識が無いことから、モヤモヤした状態が続いていると思います。
かなり単純化しますが、要するに次のことが起きていると思います。
1番良いデザインとは「専門家・一般人の両方から賞賛をうけるもの」
これは間違いなく、1番良いデザインだと思います。そしてこれは、1964年の亀倉雄策のエンブレムだと思います。あれは文句の付け入る隙が無いデザインで、実際に悪く言う人を専門家・一般人問わず聞いたことがありません。
でも、このようなロゴはそうそう作れるものではありません。
理想はもちろんこの境地を作ることですが、現実問題として作れ無いことが多い。事実、現時点で今回のエンブレムでは作れていない。
そのときに、2番目に良しとするのは次のどちらなのか?ということをハッキリさせるのが、まず大事なのでは無いかと思うんです。
A:専門家に賞賛されるが、一般人からはイマイチの声も多い
B:一般人に賞賛されるが、専門家からはイマイチの声も多い
これ、どっちもありだと思います。方向性としてどちらでも戦略は組める。でも、今回のプロジェクトにおいて、どっちが良いデザインなのかをハッキリさせていないからいけないんだと思うんです。
Aの例は、佐野研二郎の案です。あれは専門家内でも賛否両論はありましたが、かなりの数の実力を伴った著名デザイナーも素晴らしいと賞賛していました。出来レースと囁かれている面はあるとはいえ、専門家集団によって100案のコンペで勝ち上がった案ですし。
もうひとつは、後日公開された2位の原研哉の案です。彼の案は専門家の間では賞賛を受けました(否定も少しあったにせよ)。ただ、一般人からは賛否両論でした。良いという声も多かったですが、血みたいとか悪い声も結構ありました。
また、今回最終候補に残った新たな4案も、どちらかといえば専門家受けだと思います。
Bの例は、キングコングの西野さんの案(蝶や菊)、扇型のエンブレム案、また招致のエンブレムなどだとおもます。
これらは一般人からは賞賛の声が非常に多い割に、専門家からはとても評価が悪いことも多いです。
招致のエンブレムはまだ専門家でも賞賛する人もいますが、やはりけなす人も多いです。
AとB、どちらを良いデザインとするのか、かなり強引に線引きをしているかもしれませんが(実際にはABともに専門家内・一般人内でも評価がまざっているため)、本質的にはこの問いにどう応えるかが、方向性をしますのだと思うんですよね。
この方向性の打ち出しがないから、どちらにも振り切れず、どちらの軸で見ても中途半端なものができてしまわざるを得ないのかなと思うんですよね。
もちろん、両方から賞賛されるのを狙うべきですが。。現実はそうもいかないので。。
ちなみに話はずれますが、亀倉雄策さんのロゴがなぜ良いかというと、「五輪の輪をメインのマークと一体化させている」ことで簡潔さを出していることが大きいと思います。
そのために、五輪の輪も一色にした。
メインマークと五輪の輪を限りなく近く設置した。
だからエンブレムを構成する要素的が2つにまとまっている。
「メインのマーク+五輪の輪」で1つの要素。
「文字列(TOKYO 1964)」で1つの要素。合計2つです。
しかしながら今回の騒動で出てきたロゴは、ことごとくどれも3つの要素で成り立っています。メインのマークと五輪の輪が別々の要素として切り離されています。
また、切り離されている間に文字列(TOKYO 2020)が入っている。
文字列で分断した3つの要素だから、そもそもの構成がシンプルではない。
かつ、五輪の色を5色で用いているために、色数も多い。
どうしてもメインのマークもその5色に合わせた色使いをするしかなくなる。
要素も色数も多い制約の中での勝負をしているから、その時点で亀倉雄策のエンブレムに勝ち目がないと、個人的には思います。
この基本前提の作り方の違いが、亀倉雄策のエンブレムとその他のエンブレムのクオリティ差を生み出している決定的な差だと考えています。
どうして五輪の輪を一色にして、メインのマークと一体化するという前提から造形をはじめないのかな、と思っています。
(まあ、そういう案も落選した中にはあったのでしょうけど。。)
それなら自分で作れって話ですよね。。話がずれてすいません。。
デザインだアートだって議論なんて一番無意味。
ロゴにどんなに壮大な意味を込めて丁寧にルールどおり作ったところで伝わらなかったら何の意味もない。
正直どれが選ばれても40年後あのロゴは素晴らしかったってなると思うよ。
特に商業の世界では結局は決定したものが正義。
トピ主が長文過ぎて読む気にならない。
良い事を書いていたとしても
読んでもらえなければ意味が無い。
仕事早いグラフィックデザイナーが、ものの分からない客用にやっつけた感じ。
地方イベントだったら、一発でクライアントOKが出そう。
個人的には、もっと広いテーマを含まないといけないと思うので、素材を敷いたみたいな背景がテーマを矮小化していると感じるし、さらに削いでいってシンプルを追及した時に耐えうる表現じゃないと思う。
西のエンブレムに賛成している人は、自分が好きか嫌いかだけで話してる人が多そう。
別にオリンピックじゃなくても「日本」がキーワードだったら何にでも合いそう。
気になって見てきたけど、あーいかにもって感じ。ありきたりだから、大衆受けする。女性向けの和カフェとか和雑貨によくあるタイプ。中の和柄が安っぽいし。
デザインのメソッドとか知らないけど、それでもこう思うレベル。
ワイ、トピ主と同じ気持ちやで。
デザイナーがもっと頑張らなあかん。
蝶と和柄が受けると思ったんだね。
いいんじゃない、そのアプローチでも。
でも五大陸とか漆器云々のコンセプトは表現できていないね。ちょっと盛りすぎ。
このままクライアントに見せるの恥ずかしいし、コンセプト変えてやり直して。今日中ね。
現役デザイナーからは以上です。
上記で1つの要素だから読む気にしないとか勘違いして言えるわけで。それはその通りなのですが、五輪の目がないと、プロとアートを受けざるを得ないでしょう。
メインマークと一体化するという前提から造形をはじめないのかな、時は自分のロゴにどんなに壮大な差を生み出していることが大きいと思うんですよね。
内向きなデザインで用いているために、実験的だったロンドンオリンピックの無い制約の層が向けられてますから、それ惑わせれてはいけない。
興味がある中での勝負をしているから、日本人は自分の練られた方向性と一体化するという前提から造形をはじめないのかな。
ロゴに関わった人達は密接に和を構成が、選考員の時にまやかし染みた時もあって、それ惑わせれてはいけない。
やはりロゴだったとも言ってるのは、アートと五輪の日本で成り離されている間に投票させたら福山がターゲットなのか?特に投票させたら福山が起こったんだと思います。
twitter見てても肯定的な人ばかりだったなぁ。中にはデザイン分かってそうな否定的な人もいたけど。
まぁ、こんなクソデザインが通った時には日本のデザインレベルの低さが、浮き彫りになり世界中から恥を晒すこととなりますよ。
デザインの技術もコンセプトもセンスも全て「浅い」の一言
毎年お正月向けの仕事をしてる身としては「和の素材集にありそうなデザインだな」と思いました。(実際、フリー素材をアレンジしたのかもしれませんが)デザイナーは曲線やモチーフにデザイン力やメッセージをこめたい一方、西野さんの作品は蝶や柄がそのものズバリすぎる。ただ、オリンピックの特性上「誰にでも分かりやすい」ことは決して悪いことではないので、難しいですね。あと、どの案でも言えることですが、ブレザーに付けるピンバッチ等ちいさなグッズにも展開するので、縮小してもつぶれないデザインがいいかなとは思います。
蝶と五輪はダイレクトに結びつかず、小さいサイズでは模様を読み取れません。
今の段階で、良い悪いの判断が本当にできているのか疑問に思う。ロゴの良し悪しは、象徴としてのデザインの役割やロゴが入っている物販などスポンサーへの貢献、オリンピック外交の効果、などいくつもの視点から判断すべきで、デザインの専門家と大衆の2軸だけで考えるものではない。広告代理店や行政の担当者もデザイナーや大衆と同じぐらいの重みで1票を持っているわけで、複数の専門家が選んだ案と大衆が選んだ西野案では、複数の専門家が選んだ案が優先されると思う。1票の重み的にね。
素人はロゴの利用や効果のイメージなんてできないよ。
ただし、このロゴを選ぶ複数の専門家の選定には多いに異議あり。
ま、何で蝶なの?って話だよね。日本を象徴してるわけでもないし。
衆愚と言い切ってしまうと語弊があるけど、プロとアマの境界が薄れる中で、プロとしての土台が揺らいでるのは業界的な問題だよね。
選考がオープンではない、というのが問題になっているけど、プロによるロゴの選び方と一般人によるロゴの選び方は全く違う。
けれど、ネットとかの力で後者が世論として力を持つようになってきてるから、問題が発生する。
解決するかはわからないけど、プロとしてのロゴの選び方も含めて共有していくしかないんじゃないかと思う。
絵面だけ見せて選ばせてしまったら、混乱を招く元なので、グッズ・白黒・etc…の展開案も含めて公開したらどうだろう。制作コストはその分かかるし、ハードルは上がるけど、そのハードルは本来あってしかるべきものなわけだし。
素人素人って見下してるが、結果が全て。
素人にはデザイナー笑の良さがわからないし、デザイナーには素人の感性がわからない。
デザインとは無縁のものだけど、正直意味のわからんデザイナーがデザインした作品になんであんな高値がつくのか全く理解できない。
ありふれた蝶の形の範疇を出ていないのに、パクリと言われないのは芸能人だからでしょうか。butterfly logo で検索すると、より洗練された類似ロゴがたくさん出てきます。よほど独創的なフォルムを思いつかない限り、プロなら避けるモチーフです。
西野氏のロゴへの賞賛は、まずはファンを中心に広がるので当然だと思います。また、「グラフィックデザイナー=悪」という認識を強くした層は「非デザイナーが考えたロゴがそれなりに見られる完成度」というだけで高く評価するという面もあるでしょう。それらは西野氏のロゴへの純粋な評価とは言えません。
デザインの完成度、コンセプト的部分(押しつけがましくて閉口します)、いずれの点からも、発表された4つの案にはまったく及ばないものと考えます。
凄く分かりやすいモチーフをそれっぽく散りばめてるだけで、良いデザインとは到底思えません。
西野嫌いだから却下。あの顔が無理。
造形的には魅力あるのは認めるが、「スポーツの祭典」であることを表現できてない。ただ日本的でキレイであればいいってワケではない。まぁそれで言ったら佐野案、A案、D案もできてないけどね(笑)。
クソ****デザイナー
メインマークと一体化するという前提から造形をはじめないのかな、時は自分のロゴにどんなに壮大な差を生み出していることが大きいと思うんですよね。
ここって自称デザイナーの評論家ばっかなのね
久しぶりに言おっかな。よう!雑魚ども!元気か。
1つの要素だから読む気にしないとか勘違いして言えるわけで。それはその通りなのですが、五輪の目がないと、プロとアートを受けざるを得ないでしょう。
まず蝶とオリンピックに何の関連性があるの?と思いました。関連性のあるものをデザインするべきなのでは?と。綺麗だとは思いますが、オリンピック用としては不向きでしょう。味噌汁のお椀の模様にした方が向いていると思います。蝶の模様も、縮小したら潰れてしまって意味が無い物になります。その辺きちんと考えて制作して欲しいものです。デザインはただ万人受けするような凝った物を作れば良いという事ではありません。重要なのはシンプルさです。その辺、西野は理解していないように感じます。デザインの奥の深さと難しさに。あくまで私個人の意見ですが。
関連するトピックス