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ID:rosHQz さんの質問

キンコン西野の新エンブレム案(蝶のデザイン)はどう思いますか?長文です。
大衆の評価はすこぶる高く、新候補の4案より良い、という意見ばかりで、否定的な意見はほとんど見られません。
個人的には、二つの思いが同居しています。
ひとつは、画家が作りそうなデザインだな〜と、悪い意味での感想です。素人受けしそうな良さ、お洒落さと言いましょうか。
品はあれどデザイナー的なシンプルさに欠け、日本のグラフィックデザイン業界が積み上げてきたメソッドから外れている。
もう1つは、大衆が良いと言ってるのだからこれは素晴らしいし、実際良いデザインだと。
しかし、西野さんは絵が上手いとはいえ、グラフィックデザイナーではありませんし、畑違いです。
そういった人の案に、本業のグラデザが勝る案を出せていない、というこの状態をどう思いますか?
私は「非常に悔しい」「いや、西野のは無いだろう、でもこういうターゲットが広いものは、大衆受けするものがいいんだよ」「この案は素晴らしい」など3、4こくらいの相反する気持ちが同居しています。
自分の中の素直な気持ちとして、みなさんどう思われるかお聞きしたいです。特にデザイナーの方の意見を聞きたいです。

みんなの回答 32 件

ID:3wtaqO さんの回答

よくも悪くも日本人的。内向きなデザインで浅いなと思いました。
今回エンブレム騒ぎの一件で痛感したのは、日本人は自分の国のことしか考えてない(考えられない)人が多すぎるなと。
あまりにも短絡的に和をモチーフにした作品が多すぎます。
亀倉氏の時代は、戦後復興し日本の勃興という背景がある中、日の丸モチーフには力強さがあり、時の日本を象徴していました。それが佐野氏の時は単なる亀倉氏へのリスペクト。そして日本といえば日の丸でしょ。みたいな単純かつ無意味なアプローチ。それと比べたら、今回の4案の中のには、芯のあるものあるのでは、思いますが、全てそのままじゃ使えないくらい未熟なものばかりだと思いました。
最後に、西野さんのデザインの感想ですが、丁寧な感じはしますが、コンセプトが希薄で、ただ筆遊びに過ぎないと思います。そういうのは、デザインとは言いません。アートと言います。
アートとデザインを区別せず、この件で一喜一憂するのは、無意味です。

ID:BOvcGa

ありがとうございます。
おっしゃりたいことは非常によくわかります。
安易に和を用いると、うわ〜、ベタな、そこ狙う?って思っちゃいますし。
(一方で和のモチーフが持つわかりやすい普遍的な強さもありますが)
おっしゃるとおり、デザインは時代背景と切り離せなく、亀倉雄策のデザインは最高ですが、あくまであの時点での時代とのリンクがあってこそだと思います。

ID:3q/6ve さんの回答

縁取り、雲、波、いろいろな線の太さが使われていて統一感のない感じです。素人の筆遊びです

ID:BOvcGa

ありがとうございます。
ですね。プロのデザイナーのロジック的にはまずやらないですよね。
そもそも小さくしたら潰れるし、線幅を変えると悪い意味で統一感が出ませんよね。クオリティが低いです。プロのデザイナーには習慣から言ってできない(やりたくない)デザインですよね。
でも一方で、だからこそ伝えられる部分もあるのは否めないと思います。
今回の西野さんのを肯定しているわけではありませんが、一般大衆からの評判がよいという事実は、見逃せませんね。

ID:0k10hc さんの回答

国民投票で選出される仕組みだったと仮定して、それで西野さんのが選ばれたのであれば、それが答えですよ。デザイナーは西野さんのをデザインではなくアートだと批判するでしょうが、デザイナーが作ったデザインが国民に選ばれないのであれば、商業デザインとして成立しておらず、それこそアートです。

ID:BOvcGa

>> 国民投票で選出される仕組みだったと仮定して、
>> それで西野さんのが選ばれたのであれば、それが答えですよ。
そうですね、おっしゃるとおりだと思います。国民の人気投票で選ばれたのであれば、それが良いデザインである、というのは一つの明確な方向性だと思います。
その方向で突っ切るのであれば何の異論もありません。
しかし今のやり方は、国民投票と専門家の審査を混ぜているところが中途半端だと感じるんですよね。。
国民が多数決で良いもの、とするのなら、最初から最後までそうしてほしい。
商業デザインとして成立するかどうかですが、まさにここの捉え方が、今回のエンブレム作りを難しくしていると思います。
つまりオリンピックのエンブレムは、商業デザインなのかどうかです。
国としての利益を生むため、というの間違いないと思うのですが、いわゆる民間のいち企業が商業デザインを行うという意味のものとは違う気もするんです。違うというか、考え方がいくつかある、というか。
もちろん、国民の多数に支持されて(たとえ専門家から批判されたロゴでも)、そのロゴがあることで国民は象徴を誇らしげに感じ取り、ロゴを印刷した様々なアイテムがより売れれば、経済効果は高まるでしょう。そういう意味では通常の商業デザインと同じだと思います。
一方で、オリンピックを自国で開催するというのは、国としての発展度や文化を示す、対外的な意味合いも強いと思います。
その場合、国民の同意が得られないとしても、一部の先進性が高い専門家から賞賛を受けたものは、対外的にも先鋭層から高い評価を受け、日本のセンスを印象付けることになると思います。それは長い目で見ての日本ブランドの確立にもつながると思います。これも大きな意味での、国益です。
問題は、どっちの方向性でもなく、混ざってしまっている中途半端な状況だと思います。

ID:0k10hc

おいおい、稀に見る良スレかよ。

ID:twe0Ho

おれもこれに思う。クラが良い!といえば
良くなるんだよな。デザイン論もクソもない。そこで振りかざすのは、たしかにアートであり。よくいうガラパゴスなんだよな。
けど、もうちょっと 美的な思考、思想て90か00年代までは あったと思うんだけど。全てにおいて。

ID:p.O8Rp さんの回答

仏壇屋のロゴとしては素晴らしい出来栄え。

ID:BOvcGa

たぶん言いたいことはわかります。
モチーフを絞りすぎてるのでローカライズされている感じがありますよね。
イベントを象徴するマークというより、いちブランドのマークという見え方もします。

ID:XSVRXV さんの回答

よいデザインを見分けるのにに経歴や肩書が必要なの ?
その観点がそもそも本質を捉えようとしていない。

ID:BOvcGa

肩書きや経歴は必要ないでしょう。
そんなものでやれるほど単純な世界じゃないですよね。
ただ「よいデザインとは何か」の共通認識がないのが
今のエンブレム問題の本質なのかなと思います。

ID:BOvcGa さんの回答

トピ主です。
さらに考察したいので長文書かせてください。失礼いたします。
今回のエンブレム騒動は、「良いデザイン」についての共通認識が無いことから、モヤモヤした状態が続いていると思います。
かなり単純化しますが、要するに次のことが起きていると思います。
1番良いデザインとは「専門家・一般人の両方から賞賛をうけるもの」
これは間違いなく、1番良いデザインだと思います。そしてこれは、1964年の亀倉雄策のエンブレムだと思います。あれは文句の付け入る隙が無いデザインで、実際に悪く言う人を専門家・一般人問わず聞いたことがありません。
でも、このようなロゴはそうそう作れるものではありません。
理想はもちろんこの境地を作ることですが、現実問題として作れ無いことが多い。事実、現時点で今回のエンブレムでは作れていない。
そのときに、2番目に良しとするのは次のどちらなのか?ということをハッキリさせるのが、まず大事なのでは無いかと思うんです。
A:専門家に賞賛されるが、一般人からはイマイチの声も多い
B:一般人に賞賛されるが、専門家からはイマイチの声も多い
これ、どっちもありだと思います。方向性としてどちらでも戦略は組める。でも、今回のプロジェクトにおいて、どっちが良いデザインなのかをハッキリさせていないからいけないんだと思うんです。
Aの例は、佐野研二郎の案です。あれは専門家内でも賛否両論はありましたが、かなりの数の実力を伴った著名デザイナーも素晴らしいと賞賛していました。出来レースと囁かれている面はあるとはいえ、専門家集団によって100案のコンペで勝ち上がった案ですし。
もうひとつは、後日公開された2位の原研哉の案です。彼の案は専門家の間では賞賛を受けました(否定も少しあったにせよ)。ただ、一般人からは賛否両論でした。良いという声も多かったですが、血みたいとか悪い声も結構ありました。
また、今回最終候補に残った新たな4案も、どちらかといえば専門家受けだと思います。
Bの例は、キングコングの西野さんの案(蝶や菊)、扇型のエンブレム案、また招致のエンブレムなどだとおもます。
これらは一般人からは賞賛の声が非常に多い割に、専門家からはとても評価が悪いことも多いです。
招致のエンブレムはまだ専門家でも賞賛する人もいますが、やはりけなす人も多いです。
AとB、どちらを良いデザインとするのか、かなり強引に線引きをしているかもしれませんが(実際にはABともに専門家内・一般人内でも評価がまざっているため)、本質的にはこの問いにどう応えるかが、方向性をしますのだと思うんですよね。
この方向性の打ち出しがないから、どちらにも振り切れず、どちらの軸で見ても中途半端なものができてしまわざるを得ないのかなと思うんですよね。
もちろん、両方から賞賛されるのを狙うべきですが。。現実はそうもいかないので。。

ID:BOvcGa

一箇所訂正です。
>>今回最終候補に残った新たな4案も、
>>どちらかといえば専門家受けだと思います。
これはそんなことないですね。専門家受けと一般受けの両方を狙った中途半端な感じと受け取る人も多そうですし、一般受けと受け取る人いそうです。

ID:nRbmxM

公募して選ばれたもの、そのコンセプトを継承して、商業デザインとして、プロと詰めていけば、良いものなると思います。召致ロゴはそうしたわけですし。
でも、今回はこの一件でゴシップ的な監視の目が向けられてますから、そういうプロセスを経ず、決定したらそのまま使われてしまうでしょう。伊勢サミットのロゴを見れば、それは明らかです。
そうした意味で、今回の一件に関わった人達は、無責任かつ、罪深いです。

ID:nRbmxM

トピ主は、一般と専門で感覚が違う。また専門家達の選民意識に対しての不満があるようだけど、見ている視野が狭いです。
イベントの規模が大きければ、そのロゴはあらゆるところで使用されます。それらを全方位配慮してデザインするというのは、高度な技術を必要とします。一般受けが良いからといっても、それはポピュリズムへの訴えかけがうまくハマったというだけの話。逆に専門家だけが評価していると映る場合、マーケティングが不足してる、もしくは機能していない証。ただ佐野さんのやつは単に身内だからみんな庇ってただけだと思う。

ID:BOvcGa

>> nRbmxM6uAfq7
専門家たちの選民意識に不満があるわけではないですね。
私も専門家の側ですし、専門家は専門分野について選民意識というか
自信や磨き上げた価値観があるのは当然だと思いますよ。
私が気になるのは、精神的な不満とかそういうことではなく、
今回の案件の回答はどの方向にあるんだろう、という単純な疑問ですね。
>>イベントの規模が大きければ、そのロゴはあらゆるところで使用されます。
>>それらを全方位配慮してデザインするというのは、高度な技術を必要とします。
その通りだと思います。その高度さが、今回のような国を代表するイベントの場合、あまりに規模が大きいため、そもそもハードルが非常に高いということなのかなと、思っています。
>>一般受けが良いからといっても、それはポピュリズムへの訴えかけがうまくハマったというだけの話。
はまった「だけ」と軽い雰囲気でおっしゃいますが、ポピュリズムへの訴えかけがハマることは、偉大なことで、一つの明確な回答じゃないでしょうか?専門家が批判しても多くの国民に支持される、という方向性は一つの答えじゃないでしょうかね。
>>逆に専門家だけが評価していると映る場合、マーケティングが不足してる、もしくは機能していない証。
つまりあなたが言いたいことは、専門家内で評価の高いものを作りつつ、マーケティングを取り入れて一般人にも納得ができるものを、ということですよね?それってつまり、両方から支持を受ける、ということで、非常にハードルが高く、今回のような大きなイベントではプロでもなかなか実現できないと思うのですがいかがでしょうか。
佐野さんのは私が記憶している限り、単に庇っていたのではないと思いますけどね。そんな理由でデザインを支持したら、自分の感性の信用にも関わります。
また盗作問題が発生する前の段階、つまりエンブレムがはじめて発表された
段階で中村勇吾ツイッターで「美しい!」「素晴らしいエンブレムになってよかった」と発言していますし、他にも多くの実力と実績のあるデザイナーが賞賛していましたから。(もちろん否定する専門家もいましたけども)

ID:BOvcGa

>>nRbmxM6uAfq7
たしかにそうですね〜。招致のエンブレムの評価をどうとらえるか、ですが、あれを「専門家も一般人も賞賛した」ととらえるならば、あの方法論で作るのはひとつの回答ですよね。うん、確かに。
あのやり方で作ると、いいものができる可能性は高くなりそうです。
いっぽうで、招致のエンブレムを批判する人も少数ながらいると思うんですよね。そういう意味では1964の亀倉雄策のエンブレムの域には達していない。
正直、私は招致のエンブレムがそんなに良いとは思わないんですよね。
やっぱり造形の無駄というかシンプルさにかける、美しくなさ、という面があると思うんです。(栄久庵さんが監修したとはいえ、どうも。。)
でもこのような見方は、一部の専門家の見方であることも認識しています。一般人の大半は良いエンブレムだと感じており、その事実自体は私も受け入れていますし、別の見方をすれば自分の中でも良いロゴだな、と感じ取ることもできます。
>>でも、今回はこの一件でゴシップ的な監視の目が向けられてますから、そういうプロセスを経ず、決定したらそのまま使われてしまうでしょう。
>>伊勢サミットのロゴを見れば、それは明らかです。
まさにそうですね〜、今回の流れからいって、下手に手を入れるのはリスクが大きすぎるために、そのまま使う流れにならざるを得ないですよね。
ありがとうございました。

ID:QG9/GG

nRbmxM6uAfq7です。
ちょっと書き方が極端でしたね。別に一般の評価を軽んじてるわけではありません。ただ人を魅了するというのは時にまやかし染みた時もあって、それ惑わせれてはいけない。ということです。単に時間軸が違って瞬間的なインパクトによって短期的に評価を得ても、長期間使用していくには耐えられないという場合はある。そういったところのバランスを取っていくのが私はプロの仕事だと思っていて、それがこの一件では、プロ対一般という軸で語られていて、公募が実施され、玉石混交の監視の目が向けられていることが不幸でならない。
ちょっと飛躍しますが、選考員の方や関係者が、一般の方を軽んじたからこの一件が起こったんだと思う。あんなエンブレムのお披露目会なんかしちゃったところから、ハードル上げちゃったのがことの要因だとも思います。
おそらくスポンサーへのパフォーマンスを気にししすぎて、守りが疎かになったためでしょう。これは明らかな戦略ミスだと私は思ってます。

ID:BOvcGa

再度コメントありがとうございます。
そうですね、
一般の人が専門的な知識なしにエンブレムだけを見て判断するのと、
専門家がいろんな想定をして良い悪いの判断をするのは
判断基準が違うと思います。
そうすると、よくある反論が以下のようなものです。
「オリンピックは国民のためのイベントであり、専門知識が無い国民がターゲットなのだから、国民が判断したもので良いだろう?」
と。
この反論に対する、理論的な回答が、専門家の側から出されていないことが問題だと思うんですよね。
その回答とは例えば
「国民から反発を受けたが専門家から高評価だったデザインを採用したときに、結果的にそれが正解であった」という過去のケーススタディを示すことだと思うんです。
ですが、そういったケーススタディはデータを持っているのは代理店だったりマーケティングに強いある程度の規模の組織だと思うんですよね。
なかなかこれを、一般人に理解できるようにまとめるのは骨が折れる作業だと思います。
話は少し変わりますが、「展開力」のことにしても、同じことが言えると思います。
多くの一般人は、展開力と聞いても何のことか意味がわからないと思いますし、また同業のデザイナーでさえも、広告畑では無い場合、展開力が必要な仕事はあまり無いために、展開力の重要性が伝わってい無いと思います。
これについても、媒体データを持っている代理店が、広告効果は1点よりも空間をジャックして展開することで飛躍的に伸びるという、展開力を示す効果測定データをプレゼント同時に示すべきだと思うんですよね。
そうでないと、展開力って何がそんなに大事なのか意味がわから無いと思うし、展開力は後付けで、まずはロゴ単体で見た時の価値が優先だろう?という疑問に答えられ無いと思うんです。
おっしゃるとおり、
国民の目や、スポンサーの目、いろいろあるなかで、わざわざお披露目会をしたことで余計に収拾がつかなくなったのでしょうね。
ほんとうは、ロゴなんていつの間にか決まっていても、一般人は誰も気にし無いような問題だったのかもしれませんね。

ID:BOvcGa さんの回答

ちなみに話はずれますが、亀倉雄策さんのロゴがなぜ良いかというと、「五輪の輪をメインのマークと一体化させている」ことで簡潔さを出していることが大きいと思います。
そのために、五輪の輪も一色にした。
メインマークと五輪の輪を限りなく近く設置した。
だからエンブレムを構成する要素的が2つにまとまっている。
「メインのマーク+五輪の輪」で1つの要素。
「文字列(TOKYO 1964)」で1つの要素。合計2つです。
しかしながら今回の騒動で出てきたロゴは、ことごとくどれも3つの要素で成り立っています。メインのマークと五輪の輪が別々の要素として切り離されています。
また、切り離されている間に文字列(TOKYO 2020)が入っている。
文字列で分断した3つの要素だから、そもそもの構成がシンプルではない。
かつ、五輪の色を5色で用いているために、色数も多い。
どうしてもメインのマークもその5色に合わせた色使いをするしかなくなる。
要素も色数も多い制約の中での勝負をしているから、その時点で亀倉雄策のエンブレムに勝ち目がないと、個人的には思います。
この基本前提の作り方の違いが、亀倉雄策のエンブレムとその他のエンブレムのクオリティ差を生み出している決定的な差だと考えています。
どうして五輪の輪を一色にして、メインのマークと一体化するという前提から造形をはじめないのかな、と思っています。
(まあ、そういう案も落選した中にはあったのでしょうけど。。)
それなら自分で作れって話ですよね。。話がずれてすいません。。

ID:klNGg1

基本的なことをご存じないと思います。
まずは、TOKYO2020エンブレム応募要項をご確認ください。
エンブレムに用いる五輪シンボルは「色・形・位置・大きさ」が厳密に規定されています。
上から順に、メインの図柄・TOKYO 2020・五輪シンボルを配置することも規定されています。
その規定に外れるものは、審査の対象外となります。
ですから、ロンドン五輪エンブレムや亀倉エンブレムのようなものは、
現在のIOCの定義する五輪エンブレムではありませんので、要件チェックの段階で落選します。
西野氏の展開案を見ると、規定違反がありますので、おそらく要件チェックの段階で
落選したものと思われます。

ID:BOvcGa

コメントありがとうございます。
どうやらそのようですね、この文章を投稿した後に応募要項を見て、
その事を確認しました。
いや〜、パラリンピックと並列するためかわかりませんが、
このような規定は非常にナンセンスだと思いましたね。
私はそもそもの規定がクリエイティブではないと感じています。
これでは、亀倉雄策の作品に近づく事は一層難しいと思いますね。。
時代の成熟とともに規則が厳しくなるのはありがちなことですが、
そこまで縛ることのメリットをとるか、
縛らないで生まれる品質をとるかは、トレードオフなんでしょうね。

ID:XkZsHL

さきほど投稿した klNGg1ZNT9To です。

現在のIOC規定は自由度が低くバリエーションの幅をせばめていると、わたしも思います。商業的な利便性のために、一見してエンブレムに見えないような表現を排除するのが意図なのでしょう。東京64、メキシコ68、札幌72、ロンドン2012のような大胆で独創的なエンブレムが今後は見られないと思うと、とても残念です。

しかし、デザインにおけるクリエイティビティとは、与えられた目的・制約の中で発揮されるものですので、規定が不自由だから創造性を損なうという主張は本末転倒です。

乗用車のデザインは工学的な制約があるから、デザイナーの創造性を損なっている!という主張は、明らかな間違いですよね。

そもそもIOCの規定がクリエイティブじゃないというコメ主さんの主張は、その通りだと思います。オリンピックの目的とは何か、その目的達成のために(エンブレムではなく)規定をどうデザインするかという話ですね。

ID:BOvcGa

再度コメントありがとうございます。
おっしゃるとおり、クエリエイティブティは制約のなかから発揮するもので、むしろ何も制約がない中からは発揮しにくいものだとすら思います。
「自由にやって良い」と言われた場合、自らどのような制約を設けるかということ自体が、クリエイティビティの本質に大きく関わっていると思います。
ただし、制約と一言で言ってもピンからキリまであり、クリエイティビティを大きく制限する制約から、工夫することで問題にならない制約まで、案件ごとに様々なケースがあると思います。
そこは個人の経験と判断によると思います。
今回の場合は、制約条件がぜんぜん違う1964年のエムブレムを引き合いに比べられることが多いこの状況で、あの作品のクオリティに近づけるのは難しいと思ったんですよね。
それは国民の大半が、エンブレムの展開性にまで目を止めずに、ロゴを単体物で絵的な見方をするので、なおさら1964年に匹敵するレベルの作品を作る工夫の余地は限られると思います。
しかしこれはあくまで私の見解ですね。
規定のデザインの大切さはほんとうにおっしゃるとおりだと思います。
今回の騒動では、むしろ規定のデザインセンスこそが、最終成果物に致命的な影響をあたえるものだと思いました。

ID:Z3xnT8 さんの回答

デザインだアートだって議論なんて一番無意味。
ロゴにどんなに壮大な意味を込めて丁寧にルールどおり作ったところで伝わらなかったら何の意味もない。
正直どれが選ばれても40年後あのロゴは素晴らしかったってなると思うよ。
特に商業の世界では結局は決定したものが正義。

ID:3wtaqO

何もわかってないね。

ID:Z3xnT8

そういう事いっても結局選ばれなかったらなんの説得力もないんだよ。
選ばれてから語ればいいと思うよ。

ID:BOvcGa

トピ主です。デザインだ、アートだ、という議論が無意味なのは私も同感ですね。デザインの社会的な役割は常に時代とともに変化していますし、アートにおいても同じです。ある部分はクロスしていますし、デザインとアートを明確に区別できる言葉を持つことは、とりわけ現代では難しいと感じています。
>>ロゴにどんなに壮大な意味を込めて丁寧にルールどおり作ったところで伝わらなかったら何の意味もない。
それはその通りですね。ただ問題はそこにあるのではなく、「伝わる」とは誰に伝わることを言ってるのか?だと思います。
どんなロゴでも、ある一定の練られた方向性とクオリティがあれば、特定の層からの支持は受けると思います。それって、その層には伝わっている、ということですよね。
例えばフジロックのロゴは、フジロックに興味がある人というターゲット層に対して伝わればいいわけで、フジロックに興味の無い層に伝わらなくても、ロゴの評価は落ちませんよね。(当たり前の例えですが)
ですが今回の場合は、ターゲットをどこに置くがハッキリしていないと感じています。そこが一番の問題点だと感るんです。
全国民がターゲットなのか?ある特定の層がターゲットなのか?一応全国民がターゲットだが、ターゲット層のセグメント別に重要度の差があるのか?
こういったことがフワっとしています。
仮に全国民がターゲットだとしても、=国民の人気投票で選ぶ、というのは
少し違う気もするんですよね。上記で回答された方もいらっしゃいましたが、国民の人気投票であれば、ポピュリズム戦略合戦となるでしょう。
女子高生に投票させたら福山が総理大臣になる、みたいなロジックですよね。今の日本で数が多い年齢層・ターゲット層の支持をメインに狙うという選挙のような作戦になりますよね。
そうなると、そこでできたものは他の層からはやはり批判を受けざるを得ないでしょう。
>>正直どれが選ばれても40年後あのロゴは素晴らしかったってなると思うよ。
言いたいことは分かりますが、オリンピックのロゴに関してはそうはならないんじゃないですかね。だって、過去のオリンピックのロゴを見ても、すべて素晴らしかったなってなっていないでしょう?特に、実験的だったロンドンオリンピックのロゴは今でも多くの一般人に過去最悪とひどい評価を受け続けています。
でも1964の亀倉雄策のロゴは絶賛を受けていますよね。
やはりロゴの出来というものと、後年の評価は密接に関わっていると思いますよ。
>>特に商業の世界では結局は決定したものが正義。
商業の世界では結果こそがすべてですよね。おっしゃりたいこと分かります。
ただ、決定したものはその時点は正義ですが、その商品が売れたかどうか、その企業がのちに成功したかどうかでロゴの評価も変わりますよね。

(ヤフーのロゴってひどいとおもうのですが、ヤフーが大きなメディアに成長したことで、その結果を持ってして、ある意味で良いロゴだったとも言えるわけで。逆に商品が売れなかったり企業が伸びなかったら、ロゴの評価も落ちる面があると思います。落ちるというより、評価が上がらないという方が正しいかな)

なので、決定したものが正義、というのはその通りなのですが、オリンピックをより成功させるために、どのエンブレムをどういう考え方で選ぶか?ということは、考える意味のあることだと思うんですよね。

ID:eDNIiD さんの回答

トピ主が長文過ぎて読む気にならない。
良い事を書いていたとしても
読んでもらえなければ意味が無い。

ID:0k10hc

コメ主が頭悪すぎて長文読むことができない。良いことが書かれていたとしても頭が悪くて読めなければ意味がない。

ID:mLgJfj

正直俺も読めないことに同意する。

ID:u5Hsfa

読まないのは関心が少ないから、別に無理やり読んで欲しいわけじゃない。

ID:0k10hc

興味あることなら長文でも読むんだよ。興味たいしてないのに長文だから読む気にしないとか勘違いして言ってるのは、やっぱ馬鹿なんだよな。小説買って長文だから読まないとかないからw

ID:mLgJfj

いや、ネットで長文読む気がまったく起きないんだよね…本なら読むけど。まぁ仕事中ってのもあるけど(笑)。

ID:eDNIiD

長文過ぎて読む気にならないのが頭悪いとか
その発想は無かったよ。
小説と比べるのも意味が分からないね。
頭固いのかな?

ID:XSVRXV

個人の好き嫌いは別としても、長文というだけで読まれる割合が低くなるのは間違いないよね。

ID:BOvcGa

トピ主です。
コメントありがとうございます。
そうですね、長文は読む気が失せますね^^
短い文章で伝えられればいいのですが、
内容的に言葉を尽くさ無いと伝わら無いデリケートな議論であり、
私の文章力の稚拙も相まって
このような長々とした文章にならざるを得無い状況です。
ただ、それでも30件以上のレス、2,000view以上、と多くの方に興味を持っていただけたのが嬉しいですし、みんなこの問題にはモヤモヤしたものを抱えているんだなあと思った次第です。

ID:uu4o.f さんの回答

仕事早いグラフィックデザイナーが、ものの分からない客用にやっつけた感じ。
地方イベントだったら、一発でクライアントOKが出そう。
個人的には、もっと広いテーマを含まないといけないと思うので、素材を敷いたみたいな背景がテーマを矮小化していると感じるし、さらに削いでいってシンプルを追及した時に耐えうる表現じゃないと思う。

ID:ppW0fk

これが真理。
そもそもロゴマークとして耐えうる構造では無いもの。

ID:BOvcGa

トピ主です。
コメントありがとうございます。
誤解がある言い方かもしれませんが、
テーマを狭めると尖った表現・個性的な表現になりやすいですが、
その分ローカライズされた印象になってしまい、
テーマを広げるとありきたりな表現になりやすく凡庸と呼ばれてしまい、
なかなか難しいところですよね。
個性的でありつつ、大きなテーマを内包し、多くの共感を呼べる
デザインができると素晴らしいですよね。

ID:u5Hsfa さんの回答

西のエンブレムに賛成している人は、自分が好きか嫌いかだけで話してる人が多そう。
別にオリンピックじゃなくても「日本」がキーワードだったら何にでも合いそう。

ID:BOvcGa

トピ主です。
コメントありがとうございます。
大多数の国民は専門家でないために、
基本的に好きか嫌いかで判断するのでしょうね。
それで良いのか、それではダメなのか。
そこを国民に納得させるのは、デザイナーの役割なのでしょうね。
それができれば、国民も「私にはわから無いけどきっといいものなんでしょう」という納得の仕方になると思うんですよね。
私は華道に興味が無いので、華道の作品を見せられてもよくわから無いんですよね。好きか嫌いかは言えるのですが。。
でも、華道の先生が、これは素晴らしいものです、というならば「素晴らしいんだろうな」と納得できますね。
ただし、その作品を、私の家の玄関に置く、となったら話は変わってきますね。クオリティが低くても私の好きな感じの華を生けてください、とたのむかもしれません。
今回のエムブレムの役割は、どこにあるのでしょうか、
私自身も明確な答えは持ってい無いんですよね。

ID:nip9ZK さんの回答

気になって見てきたけど、あーいかにもって感じ。ありきたりだから、大衆受けする。女性向けの和カフェとか和雑貨によくあるタイプ。中の和柄が安っぽいし。
デザインのメソッドとか知らないけど、それでもこう思うレベル。

ID:BOvcGa

とてもイージーな感じがありますよね。
デザインのメソッドをご存じ無いとのことですが、
ネットを見る限り専門家外の人にはかなりウケがいいんですよね。
だから、あなたは少数派になるのかもしれませんね。
ただ、ネットは一部の評価が拡大して認識されてしまう傾向がありますし、ネットの声はどんな年齢層のどんな人なのかイマイチ統計が取れ無いし、
かなり偏りがある可能性もあります。
つまり、一般人から評価が高い、という認識さえ
妥当なのかどうかも、ぶっちゃけて言えばわから無いですね。

ID:BOvcGa

トピ主です、コメントありがとうございます。
とてもイージーな感じがありますよね。
デザインのメソッドをご存じ無いとのことですが、
ネットを見る限り専門家外の人にはかなりウケがいいんですよね。
だから、あなたは少数派になるのかもしれませんね。
ただ、ネットは一部の評価が拡大して認識されてしまう傾向がありますし、ネットの声はどんな年齢層のどんな人なのかイマイチ統計が取れ無いし、
かなり偏りがある可能性もあります。
つまり、一般人から評価が高い、という認識さえ
妥当なのかどうかも、ぶっちゃけて言えばわから無いですね。

ID:kZ8vEL さんの回答

ワイ、トピ主と同じ気持ちやで。
デザイナーがもっと頑張らなあかん。

ID:BOvcGa

トピ主です。ありがとうございます。
デザイナーとしていろいろ感じるものがありますよね〜。
デザイナーは普段の仕事に追われるだけでなく、
業界外に対していろんなプレゼンをしていく
必要があるのかもしれませんね。

ID:Aqjug. さんの回答

蝶と和柄が受けると思ったんだね。
いいんじゃない、そのアプローチでも。
でも五大陸とか漆器云々のコンセプトは表現できていないね。ちょっと盛りすぎ。
このままクライアントに見せるの恥ずかしいし、コンセプト変えてやり直して。今日中ね。

現役デザイナーからは以上です。

ID:BOvcGa

わかります。
私も部下がこのデザイン持ってきたら、
そんな感じの対応になっていたかもしれません(苦笑)

ID:dGQFFA さんの回答

上記で1つの要素だから読む気にしないとか勘違いして言えるわけで。それはその通りなのですが、五輪の目がないと、プロとアートを受けざるを得ないでしょう。


  • メインマークと一体化するという前提から造形をはじめないのかな、時は自分のロゴにどんなに壮大な差を生み出していることが大きいと思うんですよね。

  • 内向きなデザインで用いているために、実験的だったロンドンオリンピックの無い制約の層が向けられてますから、それ惑わせれてはいけない。

  • 興味がある中での勝負をしているから、日本人は自分の練られた方向性と一体化するという前提から造形をはじめないのかな。

  • ロゴに関わった人達は密接に和を構成が、選考員の時にまやかし染みた時もあって、それ惑わせれてはいけない。

  • やはりロゴだったとも言ってるのは、アートと五輪の日本で成り離されている間に投票させたら福山がターゲットなのか?特に投票させたら福山が起こったんだと思います。

ID:nBorf1 さんの回答

twitter見てても肯定的な人ばかりだったなぁ。中にはデザイン分かってそうな否定的な人もいたけど。
まぁ、こんなクソデザインが通った時には日本のデザインレベルの低さが、浮き彫りになり世界中から恥を晒すこととなりますよ。

デザインの技術もコンセプトもセンスも全て「浅い」の一言

ID:dGQFFA

やはりロゴだったとも言ってるのは、アートと五輪の日本で成り離されている間に投票させたら福山がターゲットなのか?特に投票させたら福山が起こったんだと思います。

ID:BOvcGa

トピ主です。
コメントありがとうございます。
技術もコンセプトも浅いものが、
(少なくともネットで見た限りの)国民に支持されていて、
それを覆せ無いデザイン業界に、悔しい気持ちです。

ID:6QesoF さんの回答

毎年お正月向けの仕事をしてる身としては「和の素材集にありそうなデザインだな」と思いました。(実際、フリー素材をアレンジしたのかもしれませんが)デザイナーは曲線やモチーフにデザイン力やメッセージをこめたい一方、西野さんの作品は蝶や柄がそのものズバリすぎる。ただ、オリンピックの特性上「誰にでも分かりやすい」ことは決して悪いことではないので、難しいですね。あと、どの案でも言えることですが、ブレザーに付けるピンバッチ等ちいさなグッズにも展開するので、縮小してもつぶれないデザインがいいかなとは思います。

ID:BOvcGa

わかりやすい、ということは一般ウケする重要な要素なんでしょうね。

ID:Yr9BHM さんの回答

蝶と五輪はダイレクトに結びつかず、小さいサイズでは模様を読み取れません。

ID:BOvcGa

デザインのロジックで考えると、
基本的な部分がすでに破錠していますよね。

ID:10QCrM さんの回答

今の段階で、良い悪いの判断が本当にできているのか疑問に思う。ロゴの良し悪しは、象徴としてのデザインの役割やロゴが入っている物販などスポンサーへの貢献、オリンピック外交の効果、などいくつもの視点から判断すべきで、デザインの専門家と大衆の2軸だけで考えるものではない。広告代理店や行政の担当者もデザイナーや大衆と同じぐらいの重みで1票を持っているわけで、複数の専門家が選んだ案と大衆が選んだ西野案では、複数の専門家が選んだ案が優先されると思う。1票の重み的にね。
素人はロゴの利用や効果のイメージなんてできないよ。
ただし、このロゴを選ぶ複数の専門家の選定には多いに異議あり。

ID:BOvcGa

興味深いコメントです。

まず全体として、
一般人も専門家も関係者も絶賛するエムブレムがありうるか、
ということがはっきりして無いと思います。

もしも全員(=仮に90%とする)が賞賛するエムブレムがありうるならば、全員が同じ一票の重みで国民投票を行っても構わないと思うんですよね。

しかし現実問題として、そんなものは存在し得ないならば。
そして傾向として、専門家・関係者の見地と一般人の見地がが分かれるならば。

国民投票を行った時点で、
大多数の一般人に勝てるわけが無いですよね。

9割が賞賛するエムブレムが存在しないなら、
そして1票の重みが専門家や関係者のほうが重いとするならば、

国民の意見を聞く必要はないと思うんですよね。

実際には相当にクオリティの高いものが出来上がらない限り、
専門家の中でも意見が分かれるので、
ほんとうに難しいところですね。

ID:10QCrM

1票にするか2票にするかは置いておいて、
「国民投票で1票。デザイナー選考委員会で1票、広告代理店会で1票、スポーツ関係者で1票、外交関係者で1票。・・・」
というイメージかなと思います。
ただ、現実的には行政が強い場合もあるし、代理店が強い場合もあり、まとめて選考委員会が作られ合議によって決められているので、国民投票と選考委員会とどっちが重い1票かといわれれば、選考委員会かなと思う。
ただし、オーストラリアの国旗のように国民全員が等しく責任(関わり)を持つようなものの場合は、国民投票もありなのではとも思う。

ID:10QCrM

一般人も専門家も関係者も絶賛するエムブレムがありうるか、
については、「ある」と信じたい。現実には「ない」として物事を進めないといけないけど。
夢物語で言えば、テクノロジーが進んで人の思考やスキルがデジタル化されビッグデータとして蓄積された場合には、個々の1票の重みを変えるデジタル国民投票の時代がくるかもしれない。投票のテーマに関わりが深い人は2票分になるような。。。その場合は投票の意味がなくなるか、人類がひとつの選択をする民主主義・・・SFね

ID:wIFGCX さんの回答

ま、何で蝶なの?って話だよね。日本を象徴してるわけでもないし。

ID:BOvcGa

とてもシンプルな疑問ですよね。
ロジックで考えるとまず最初に浮かんでもおかしくない疑問ですよね。
ただ、多くの一般人はこの作品に対しては、その疑問を挟まないんですよね。
それだけの力が、あの絵にはある、ということなんだと思います。
(クオリティが高いと言っているわけではありません)
しかしそれは絵の力であって、ロゴの力ではないのかもしれません。
難しいところです。

ID:uu4o.f さんの回答

衆愚と言い切ってしまうと語弊があるけど、プロとアマの境界が薄れる中で、プロとしての土台が揺らいでるのは業界的な問題だよね。
選考がオープンではない、というのが問題になっているけど、プロによるロゴの選び方と一般人によるロゴの選び方は全く違う。
けれど、ネットとかの力で後者が世論として力を持つようになってきてるから、問題が発生する。
解決するかはわからないけど、プロとしてのロゴの選び方も含めて共有していくしかないんじゃないかと思う。
絵面だけ見せて選ばせてしまったら、混乱を招く元なので、グッズ・白黒・etc…の展開案も含めて公開したらどうだろう。制作コストはその分かかるし、ハードルは上がるけど、そのハードルは本来あってしかるべきものなわけだし。

ID:BOvcGa

トピ主です。
いやあ、ほんとうにおっしゃる通りだと思います。
今回のエンブレム問題は、つねにネット発信だったと思います。
双方向性の仕組みがあるネットで炎上から、
TVを通して現実世界へ波及しています。
この現象は、ネットが無かった時代であれば、
TVへの苦情電話という形であり、
苦情電話は本人と受けた側にしか認知されませんから、
炎上することなく闇に消えていたのかもしれません。
ネットで誰もが双方向性を持つ時代ならではの、
新しいクリエイティブの方法論が必要とされているのかもしれませんね。

ID:GNoltY さんの回答

素人素人って見下してるが、結果が全て。
素人にはデザイナー笑の良さがわからないし、デザイナーには素人の感性がわからない。
デザインとは無縁のものだけど、正直意味のわからんデザイナーがデザインした作品になんであんな高値がつくのか全く理解できない。

ID:nBorf1

デザインを分かっている人たちがデザインの価値をあげているんだよ。だから、素人からしたら訳のわかんないデザインでも高値がつくんだよ。デザインをわからない素人がデザインの価値を下げていて、日本のデザイナー達は低所得、低クオリティ、長時間労働になっていることに何故きづかない?

ID:0k10hc

やはりロゴだったとも言ってるのは、アートと五輪の日本で成り離されている間に投票させたら福山がターゲットなのか?特に投票させたら福山が起こったんだと思います。

ID:GNoltY

デザインのわかってない素人からの評価が高ければ、それが結果でしょ。
素人にデザインを理解しろとか無理があるでしょ

ID:DrjPjN

結局自称デザイナー爆笑のきもい集団が、自己満足で価値を上げてるだけなんだろww
コメ主の言うとおり、結果がすべてw

ID:nBorf1

いや、そういって低クオリティのデザインばかりを世の中に出している日本の風潮がダメって言ってるの。

結局、低レベルのデザインで満足しているのは日本人だけでしょ。

そうなるとデザイン業界は国内だけでお金が回っていてデザイナーの価値が上がらないから、いつまで経ってもデザイナーの賃金も上がらない。

海外からの認められて、外貨が入ってきて他のデザイン先進国と肩を並び、デザイナーの長時間労働、低賃金もよくなるのでは?

だから、日本の有名なアートディレクターたちもお金をもらえるのだよ。

ID:kZ8vEL

結果がすべてなのは当然だとして。
その時は大差ないように感じても、時間をおいてみると案外プロと素人の差が歴然としてたりするの事はあるなあ。
ロゴの件については、渦中にある日本国民に客観的判断ができるとは思えないんだよね。
各国の素人代表呼べw

ID:QG9/GG

ゴールがはっきりしてないのに、結果がすべてって、どういうこと?ゴールは何?

ID:LVyN2h

コメ主あっさ(浅

ID:BOvcGa

トピ主です。
コメントありがとうございます。
少し話はずれますが、関連性ということで。。
「意味のわからないデザイナーがデザインした作品になんであんな高値がつくのか全く理解できない」のは、いたって自然なことだと思います。
だからこそ、デザイナーにとってあなたはクライアントではないし、
あなたもデザイナーに発注をしない(する機会がない)でしょう。
私も興味がない分野のお金の流れには無知です。
デザイナーに限らず請負業というのは、お金を払う立場のクライアントに対してのみ、費用の根拠を説明し理解してもらいます(どんな仕事でも当たり前ですが)。
そして、採用したデザインの結果が悪ければ、実質的な被害をうけるのはクライアントでした。(デザイナーは、成功したデザインは実績として出しますが、失敗したデザインをわざわざ出す必要がありませんから)
ですから通常、デザイン決定までのプロセスにおいて一般ユーザーは無関係であり、口をはさむことなどあり得ません(マーケティングの一環として意見を聞くことはあっても)。
デザイナーとクライアントのみで決めていきます。
セブン・イレブンが新商品のブランディングをデザイナーに頼む時、
一般ユーザーに賛否をお伺いすることなどなく、
企業とデザイナー間で仕事は完結します(当たり前の話ですね)。
ところが今回の場合、
まずクライアントがどこなのか?が漫然としています。
文句を言っている国民の中を見ていると、
税金が使われていると思っている節さえあります。
しかし実際には、税金は使われていませんよね。
そしてクライアントは、公益財団法人「東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会」ですし、この組織は企業の協賛金で成り立っています。

(もう少しだけつっこむと、この組織を設立するにあたっては、日本オリンピック委員会(JOC)と東京都が共同で少しだけ出資をしています。あくまで少しであり、大半は協賛金です。ですから100歩譲っても、採用プロセスに対して文句を言う権利があるのは東京都民だけということになります)

つまり、通常のデザインビジネスの常識で考えると、
国民が物申す権利などないんですよね。
デザイナーにとってクライアント(=客)は組織委員会であり、
国民ではないわけですから。

一般ユーザーのことを考えてデザインはしますが、
決定権は国民に何一つありません、無関係です。

そもそもがこのようなプロセスで成り立っているビジネスに対して、
一般ユーザーが採用プロセスに中途半端に入ってくる、
ということが、今回の問題が炎上しやすい原因でもあるのだと思います。

オリンピックという全世界を巻き込んだ大規模なイベントのために、
この辺がよく分からなくなていると思うんですよね。。

それだけ特別なイベントであり、デザインフローに関しても、
通常の考え方とは異って然るべきなのかもしれないですね、
難しいところです。。

ID:D0gqom さんの回答

ありふれた蝶の形の範疇を出ていないのに、パクリと言われないのは芸能人だからでしょうか。butterfly logo で検索すると、より洗練された類似ロゴがたくさん出てきます。よほど独創的なフォルムを思いつかない限り、プロなら避けるモチーフです。
西野氏のロゴへの賞賛は、まずはファンを中心に広がるので当然だと思います。また、「グラフィックデザイナー=悪」という認識を強くした層は「非デザイナーが考えたロゴがそれなりに見られる完成度」というだけで高く評価するという面もあるでしょう。それらは西野氏のロゴへの純粋な評価とは言えません。
デザインの完成度、コンセプト的部分(押しつけがましくて閉口します)、いずれの点からも、発表された4つの案にはまったく及ばないものと考えます。

ID:BOvcGa

トピ主です。コメントありがとうございます。
素人が考えた、というだけで
評価が過大になることは往々にしてありますよね。
ミュージシャンじゃないのにいい曲作る人とかも
異常にいい曲に感じますし(笑)
蝶と和柄、素人の趣向市場の大きいところを狙うという意味では
ひとつの優れた判断だと思うんですよね。
(もちろん、プロの文脈でのクオリティが高いこと、とは無関係の軸ですが)
プロとしての判断と素人としての判断は違う、とは
あまり声を大きくして言いたくないのですが、
やっぱりそういう傾向があるんだなと思います。
やはり、
プロはプロとしての積み上げてきた美意識の歴史と思想があり、
その中でデザインを発展させていったという敬意もありますよね。
それが一般人と乖離するのはしょうがないことなんでしょうね。
私自身もデザインにさして興味がない素人の頃と、
デザイナーになった後では、好きなデザインは全く異なりましたし、
デザインに対する見方も全く違うものへと変わりました。
これはどんなデザイナーでも体験していることだと思います。
大衆と専門家の関係性についていろいろ考える
きっかけになっています。

ID:zjqf/r さんの回答

凄く分かりやすいモチーフをそれっぽく散りばめてるだけで、良いデザインとは到底思えません。

ID:BOvcGa

トピ主です。ありがとうございます。
良いデザインではないですよね。
好まれるデザインと、良いデザイン、の違い。
売れ線の音楽は、
必ずしも同業のミュージシャンから支持を受けているわけではない、
というのと似ている気がしないでもありません。
いい音楽なのに売れないということはよくある光景ですもんね。
市場の違いなのでしょうね。

ID:Wwvcsg さんの回答

西野嫌いだから却下。あの顔が無理。

ID:BOvcGa

そういう判断もあるのでしょうね。
確かに、通常デザイナーは作者が前に出ませんからね。
作者が前に出た場合、そういうことが起き得ますね。

ID:mLgJfj さんの回答

造形的には魅力あるのは認めるが、「スポーツの祭典」であることを表現できてない。ただ日本的でキレイであればいいってワケではない。まぁそれで言ったら佐野案、A案、D案もできてないけどね(笑)。

ID:BOvcGa

トピ主です。
スポーツの祭典という感じではないですよね。
ただ、「スポーツの祭典という感じ」が必要なのかどうか?は、
同じように「日本ぽさ」が必要なのかどうか?とも似ている気がします。
ですが、真に優れたエムブレムであれば、
たとえスポーツの祭典という感じが含まれていなくても、
日本ぽさがなくても、
そういう批判自体が頭に浮かんでこないものかもしれませんね。
もちろん、しっかりと、スポーツの祭典という感じも、日本ぽさ、も
感じさせる方向性のものかもしれませんが。
ありがとうございました。

ID:mLgJfj

>「スポーツの祭典という感じ」が必要なのかどうか?
え? いらないの?

ID:rosHQz

スポーツの祭典、という感じが、いるかいらないか、というよりも、
「スポーツの祭典という感じがしない」という批判が湧いてこない、ということが大事なのかなと思いますね。
スポーツの祭典という感じ、となると、例えば躍動感とか、華やかさ、とかになると思います。
しかし例えば1964の亀倉雄策のエンブレムは、躍動感やスポーツ感は無いですよね。それでも「日の丸なら別にオリンピックじゃなくても使えるよね」とか「躍動感が無い」といった批判は出てこず、納得させる説得力がある。
いっぽうで、長野オリンピックのロゴはそのまんま躍動感や、スポーツ感がある。
なので、スポーツの祭典という感じが必須、という作り方よりも、そういう批判が浮かんでこないもの、というゴールの方が制限なくアイデアが膨らむと思うんですよね。
日本ぽさ、についても同じことが言えると思います。

ID:kZ8vEL さんの回答

クソ****デザイナー

ID:0k10hc さんの回答

メインマークと一体化するという前提から造形をはじめないのかな、時は自分のロゴにどんなに壮大な差を生み出していることが大きいと思うんですよね。

ID:rH/fZR さんの回答

ここって自称デザイナーの評論家ばっかなのね

ID:nBorf1

自称ではない、デザインの仕事で対価を得ていたらデザイナーだよ。イラレ、フォトショも触れないプログラマー風情が口を出すな

ID:rH/fZR

エスパーですか?プログラマーじゃないけど。
イラレ、フォトショを使えるなら何故口ばっか出さずに俺のデザイン見習えと画像の一枚でもあげないの?

ID:LVyN2h

コメ主まと外れすぎ
>イラレ、フォトショを使えるなら何故口ばっか出さずに俺のデザイン見習えと画像の一枚でもあげないの?
そんな議論もとめてない

ID:rH/fZR

デザインの価値がどうとか日本のデザインレベルがどうとかの議論が求められてるの?

ID:BOvcGa

トピ主です。
このスレでは、いただいたコメントを見る限り、デザイン業界でない方も、毎日デザイン業に忙しいデザイナーの方も両方が参加してくれていると感じています。
私の趣旨としては、議論をしたり、感想を聞きたいと思ってスレを立てました。
「何故口ばっか出さずに俺のデザイン見習えと画像の一枚でもあげないの?」
これは私個人の予想ですが、今回の課題に対して、そのようなデザイン案を出すことが難しいからだと思いますね。
それはデザイナーの能力が不足しているわけではなく、
この課題の目的そのものが分からないからです。
結果とは何か、良いデザインとは何か、という最終目的地が曖昧だからです。
だからこそ、こんなに沢山のデザイン案が世の中に溢れていても
専門家・一般人両方の大多数から支持される案が無いのだと思います。
つまり今回の問題は、デザイナーに問題があるというより、もっと上の段階のプランニング、戦略策定に問題があると思います。
また、上記でも同じような思いを持っている回答者がいらっしゃいましたが、そもそも専門家・一般人両方の大多数から支持されるロゴを出すことなど、不可能に近いということです。
もちろん理想はそうなのですが、現実的ではない、と。
過去に決定したエンブレムを見れば、一目瞭然とおもいます。
専門家・一般人両方の大多数から支持されたであろうロゴは、何年のエンブレムなのでしょうか、大半はなかなか厳しい評価となると思います。
というわけで、この案件に関しては、デザインをすることよりも、
目的やゴールは一体なんなのか?を議論することが良いデザインをする近道だと考えている次第です。

ID:B0PoWu さんの回答

久しぶりに言おっかな。よう!雑魚ども!元気か。

ID:0k10hc

久しぶりー。もっと顔だしなよ。みんな寂しがってたよ。

ID:0k10hc さんの回答

1つの要素だから読む気にしないとか勘違いして言えるわけで。それはその通りなのですが、五輪の目がないと、プロとアートを受けざるを得ないでしょう。

ID:eDNIiD

翻訳した日本語ですか?
번역한 일본어입니까?
是翻译的日语吗?

ID:0k10hc

いいえ。

ID:eDNIiD

外国人ですか?

ID:0k10hc

自動生成ですね。

ID:hPpfD7 さんの回答

まず蝶とオリンピックに何の関連性があるの?と思いました。関連性のあるものをデザインするべきなのでは?と。綺麗だとは思いますが、オリンピック用としては不向きでしょう。味噌汁のお椀の模様にした方が向いていると思います。蝶の模様も、縮小したら潰れてしまって意味が無い物になります。その辺きちんと考えて制作して欲しいものです。デザインはただ万人受けするような凝った物を作れば良いという事ではありません。重要なのはシンプルさです。その辺、西野は理解していないように感じます。デザインの奥の深さと難しさに。あくまで私個人の意見ですが。

ID:aHPkPw

西野はお笑いもデザインも中途半端ってことか

ID:0k10hc

中途半端なヤツに負けてるヤツがほとんどなのが皮肉だな。

最終更新日:2016-04-14 (4,714 views)

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