純粋理性批判のアプリオリな絶対的に純粋な総合判断と絶対的だが純粋ではない総合判断の違いを教えてください。で、結局、アプリオリな総合判断は可能なのですか?
さて「純粋」は何回言ったでしょうか?
論理学においての「絶対的」ってのがわからないだけでは?人間の判断だとそのように、わからなくなってしまうんだけど、絶対的というのは場所が決まってるってことだ。この場合純粋なのと非純粋のやつとでの違いだから、結果としては単なる割合で総合判断がされるということ。総合判断なんかはこういった人間のブレを補助する意味で使ったほうがいいね。
1+2=3これがアプリオリな総合判断ですよ。可能でしょ。そこ悩むとこか?
2は1に1を加えた概念であり、3は2に1を加えた概念で、「1+2」という概念と「2に1を加える」という概念は同値なので、「3」であると結論づけられますから、分析的な判断だと思います。
確かに総合判断ではありません。しかしアプリオリな総合判断です。なぜならカントがそう言ってるから。アプリオリな総合判断についてはカントしか言及しておらずよって定義はカント次第です。そのカントが数学はアプリオリな総合判断だといっているのですから、そうであるというのが真ですよね。
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さて「純粋」は何回言ったでしょうか?
論理学においての「絶対的」ってのがわからないだけでは?人間の判断だとそのように、わからなくなってしまうんだけど、
絶対的というのは場所が決まってるってことだ。
この場合純粋なのと非純粋のやつとでの違いだから、結果としては単なる割合で総合判断がされるということ。
総合判断なんかはこういった人間のブレを補助する意味で使ったほうがいいね。
1+2=3
これがアプリオリな総合判断ですよ。
可能でしょ。そこ悩むとこか?
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